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最高裁判所第一小法廷 昭和39年(行ツ)85号 判決

上告人 芦川市松

被上告人 国 外一名

訴訟代理人 板井俊雄 外三名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人真田淡の上告理由一について。

自作農創設特別措置法による農地の買収及び売渡処分のあった後、その土地が農地としての適性を失い、自作農の創設又は土地の農業上の利用増進の目的に供されないことが確定された場合には、前になされた買収及び売渡処分が法律上当然に失効し土地の所有権が旧所有者に復帰するものと解することはできない旨の原審(その引用する第一審判決を含む。以下同じ)の判断は、正当である。けだし、右買収及び売渡処分には何らのかしはなかつたのであり、一たん適法かつ有効になされた買収および売渡処分がその後の事情の変化により何らの法の規定なくして当然に失効する理由はないからである。したがつて、原判決には所論違法はない。なお、所論中違憲をいう点は、右原判決の違法の主張を前提とするものであつて、原判決にその違法のない以上、その前提を欠くものである。論旨は独自の見解に立つて原判決を非難するものであつて、採用できない。

同二について。

農地法一五条は、何人に対しても買収請求権を認めた規定でないことは法文上明らかであるから、上告人は国に対して本件土地の買収を求める権利を有するものではなく、したがつて被上告人国に対して所論買収処分という行政処分をなすべきことを命ずる裁判を求める上告人の請求は、不適法である旨の原審の判断は、正当である。原判決には所論違法はなく、論旨は独自の見解であつて、採用できない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 長部謹吾 入江俊郎 松田二郎 岩田誠 大隅健一郎)

上告理由

一、原判決は、一旦自創法に基く農地の買収、及び売渡処分があつた後その土地が農地としての適性を失い、自創法の目的に供しない事が確定された場合に既になされた買収及び売渡処分が法律上当然に失効し、土地所有権が旧所有者に復帰するものと解することは出来ないとし、その理由を、此の様な場合買収及び売渡がなされた当時は、右土地は前記公共の目的達成のため必要であつたが、その後農地としての適性を喪失すると共に不用になつたと云うに過ぎず、買収及、売渡処分には何等の瑕疵もないのであるから一旦、適法且つ有効に行われた買収及、売渡処分がその後の事情の変化によつて当然失効する理由がないとし、その解決は専ら立法政策に基くものであると判旨する。

然し原判決の右判旨は、明に法令の解釈を誤つたものである。原判決の判旨は、自創法に基く買収処分が被買収者の意思を全然考慮しない一方的な強制処分に基くものであるとする基本的態度を没却した解釈と云わなければならない。

自創法の買収処分は、自創法の目的即ち自作農の創設又は、土地の農業上の利用増進と云う公共の目的の達成のために被買収者から強制的に買い上げたものに過ぎない。

そこには、民法上対等な立場に基く契約の自由がなかつたのである。民法上所謂契約自由の原則に基く売買ならば、まさしく原判決の判旨は正当なものと云わなければならない。然し農地の如く被買収者の意思を無視して、一方的に然も廉価に取引された場合、被買収者の立場を救済する唯一の場合は自創法の目的が終了した場合に売渡土地を被買収者に返還するものと考えてこそ、始めて公平な解釈と云わねばならない。民法の契約理論によれば、当事者の一方の意思に瑕疵があつた場合には必ず瑕疵あつた一方の当事者にその救護方法を講じてある。本場合には、別の解釈からすれば国の一方的買上(然も廉価な)げと云う点から或る意味で(被買収者に)瑕疵があつた場合であるが、その瑕疵は公共の目理論によつてカバーされることによつて正当化されてるに過ぎない。とすれば右公共の目的が失われた際には、買収当時の被買収者の瑕疵ある意思に注目して、解釈において救護方法を講ずるべきものと解する。然してその救護方法は被買収者に買収土地をもどす事こそ最上の方法であろう。従つて解釈論として、公共の目的を失つた際、当然買収行為が無効と解する事は決して無理な解釈とは云えないのである。

判旨は此の点の解釈は、専ら立法対策の問題として解釈を避けているが、これは問題に対する正しい判断とは称し得ない。若し仮に此の態度を是認するならば我々の生活態度における争いにおいて、法の規律しない分野は総て立法対策の問題だとして一蹴され、争いの解決は云うに及ばず裁判所の判決は法令の探索と云う極めて機械的な仕事としてのみの意味しかあり得ないであろう。我々が法令と云う僅かな枠のなかで、我々の千差万別の争いを解決しようとするのは、そこに条理に基く解決方法を期待しているからである。かかる意味で原判決には法令解釈の誤りがあるものと解さざるを得ない、この事は同時に憲法第二九条の解釈を誤つたものである。

二、更に原判決によれば裁判所が国に対して、買収処分をなすことを命ずる裁判をなすことは、三権分立の立場からして行政庁の事前関与を要せず、且つこれを待つ事が出来ない等の特別の事情がある場合のほかは原則として許されないとする。

元来、司法、行政両権の分立と云つてもそこに絶対的な基準があるわけではなく、要するに、両権分立の趣旨は各権力の乱用を防ぐことによつて国民の有する権利、自由を国家的権力による不当な侵害から保護することを目的としているものであるから、国民の利益が不当に侵害されている事実の存する限り、然もその救済の必要が甚しいのに、尚権力分立の原則を楯にとつて救済の方法を講じないのは、権力分立に対する誤つた解釈と云わなければならない。かかる場合には、司法権の作用が行政権に干与することも又是認しなければならない。

本件において既に一で詳言した如く、その前程において公共の名の下に強制的に買収され、然も当初の右公共の目的が滅失した場合であるから結果的に残るのは被買収者の著しい損害と云う事実である。

然も右損害は明瞭である以上、国民はその救済方法を司法の作用によつて得ようと努力する事は当然であり、かかる意味から又上告人の主張も許容されるべきものと考える。従つて原判決が三権分立の原則から上告人の第二次的請求を許されないとするは三権分立に対する誤つた解釈と云わなければならない。

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